前編の伊勢物語に引き続き、後編は土佐日記をお送りします。
伊勢西インターから伊勢自動車道→東名阪道→新名神→名神→中国道→山陽道→瀬戸中央道(瀬戸大橋)→高松道→高知道と経由して、およそ6時間で高知へ到着。すっかり日も暮れて、腹もペコペコ。程良い運転疲れでした。笑
翌30日は早朝から墓参り。まずは高知市から西に20数㎞の佐川町斗賀野(とかの)から。ここは義母方の実家があるところで、小高い丘の上に先祖代々の墓石が並んでいる。
はじめに丘の麓に自生しているシキビを採取。次に墓地がある頂上まで息を切らしながら登り、墓石を埋めんばかりの落ち葉を掃除。そして花器に水を入れてシキビと花を活ける。墓石に水をかけた後、米粒と菓子を備えて線香を焚く。これが十数基あるので結構大変。古い墓石は江戸末期から明治初期のものがあったりするのでつくづく歴史を感じる。最後に一つひとつ丁寧にお参りして終了。帰りがけに丘の所々にあるキンカンの実をたくさん摘んで幸せな気分になる。笑
次は義父方の墓がある佐川町黒岩へ。こちらは年に2度は訪れる慣れた場所だが、義母方同様小高い山の上に墓地があり辿り着くまではひと苦労。ひと通り同じような手続きを経て、無事に墓参りを終了。
大晦日の31日は神棚に新しい榊を供え、買い物や簡単な掃除などをして過ごす。紅白歌合戦やその他のバラエティー番組にも全く興味は沸かず(歳ですかね?)、年越し蕎麦を食べた後は少し本を読むなどして早々に就寝。22:00過ぎには熟睡。笑
明けて1月1日元旦。朝食は雑煮。高知の雑煮はすまし汁に餅といった極めてシンプルなスタイル。例年ならここで皿鉢料理をいただきながらお屠蘇という流れなのだが、今年はその肝心な皿鉢を須崎市(高知市から西に約30㎞)のとある店に注文した関係で昼までお預け。よって朝食後早速皿鉢を取りに須崎へ出掛ける。
高知インターから高速に入り須崎へと向かうが、ちょっとだけ足を延ばして中土佐ICで下りる。ここは有名な「土佐の一本釣り」(青柳裕介作の漫画)の舞台にもなった所で、うまい鰹のタタキを食べれる“大正市場”を擁する小さな漁師町。この町の鎮守「久礼八幡宮」にカミさんと二人で初詣。引いたおみくじは大吉。破魔矢を購入して参拝を済ませる。そして、この八幡さまの目の前には雄大な太平洋が広がっていて、名物の“双名岩”も見ることも出来る。天気にも恵まれてホントいい初詣でした。
皿鉢を無事に運び終えると、待ってましたとばかりに親戚揃っての新年会。楽しい宴は夜まで続くのでした。笑
翌2日は皿鉢料理の皿を返しがてらに須崎方面の観光名所をドライブ。まずは一般道で土佐市の青龍寺へ。このお寺は四国八十八か所の第36番札所で、あの朝青龍のしこ名の由来ともなった名刹。辰年にあやかり縁起を担いでお参りするが、結構な階段に息が上がる始末。笑
青龍寺の後は横浪スカイラインをドライブ。野球やゴルフ、相撲などで数々の有名人を排出してきた明徳義塾高校を通り過ぎ、名勝「帷子崎」(かたびらざき)へ。太平洋を臨む絶景を十二分に堪能。次に土佐勤王党の盟主、武市半平太の像を見学してから須崎市へ入る。
須崎から戻ってきた後は、今度は歩いて高知市街を散策。高知城から追手筋、帯屋町と正月で賑わう街をカミさんとブラブラ。帰りにはカミさんが通っていた「城北中学校」の前を通る。余談だがこの中学校は女優の広末涼子の出身校でもある。
最終日の3日は高知市の東30㎞に位置する安芸市へ観光。安芸市の名所「野良時計」を見て、土居廓中(どいかちゅう)と呼ばれる武家の街並みを徘徊。安芸城址や三菱財閥の創業者、岩崎弥太郎の生家などへも足を延ばす。昼食には国道55号線に面した「国虎屋」で国虎うどんを食べる。これがまるで豚汁にうどんを入れたかのようなものだがなかなかの美味。散策で冷えた身体には有り難い一杯でした。
夜は高知の仲間達と楽しい新年会。会場へ向かう前に高知出身のフィギュア作家、デハラノリユキ氏の展示を観にファウストギャラリーへ。氏はカミさんの姪と高校の同級生とのこと。本日オープニングの会場には流行りのフィギュアや絵画がズラリと並びお客さんもいっぱいでした。
新年会はいつもながらの盛会。新参のメンバーも加わりおおいに盛り上がる。二次会はお決まりのウォルトンバー。ホントいい新年会になりました。
4日は帰宅の途へ。今回の帰路ルートは以下の通りです。
高知インターから、高知道→徳島道→高松道→神戸淡路鳴門自動車道(明石海峡大橋)→神戸線3号→名神道→京滋バイパス→新名神道→東名阪道→伊勢湾岸道→東名道の東京(世田谷)インター着。途中に渋滞が数カ所あって所要時間は約13時間。自宅へ着いたのは夜の7:00過ぎでした。
以上、私の伊勢物語&土佐日記はおしまいです。最後までお付き合い下さり本当に有難うございました。
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